MYCOACH

2022.8.14 お知らせ

自分に嘘をつく。そうでなければ生きれなかった。

こんにちは。MYCOACH代表のモリタジュンタロウです。

初めて私のことを知る方もいると思うので
自己紹介と共に、私の人生や価値観について
振り返っていきたいと思います。

【1】はじめに

名前:モリタジュンタロウ
年齢:26歳
生まれ:名古屋

現在は合同会社nopoleの代表として2つの事業を取り組んでいます。

①コーチング事業(MYCOACH 運営)
②セクシャルウェルネスブランドnopoleの運営

合同会社nopoleではセクシャルウェルネス(性の健康)に関するちょっと変わった事業を行っています。

実は私は元女性です。

その原体験をもとに、性に悩むLGBTQやセクシャルマイノリティー向けにパートナーとの性行為で使用できるアイテムの開発・販売をしています。

一見関連性のない2つの事業ですが、私はこの事業を通じて、そして私自身の人生を通じてやり続けたいことがあります。

それは

出会った人の人生が、よりその人らしく生きるキッカケをつくること

これが私を突き動かすエネルギーの根源です。

ここからはなぜ私の中でこの価値観が生まれたのか
自分自身の人生を少し振り返っていこうと思います。

【2】幼少期

生まれ方に失敗

1995年11月15日、女性として誕生。
生まれてくる性別をハナから間違える

両親が若くして私を産み、第一子でかつ女の子だったということもあり、祖父母・親戚・両親の友人から死ぬほど可愛がられて育つ。

誕生日には、ぽぽちゃん人形やらメルヘンなおもちゃが届く。

本当は仮面ライダーの変身ベルトが欲しかった。

【3】小学校時代 

漠然とした嫌悪感

小学校へ入学。当然のように赤いランドセルが買い与えられる。

そのランドセルが嫌すぎて、
「新しいものを買ってもらえるかも!」と淡い期待を込め、入学早々にランドセルを自分で切り刻んでボロボロにする。

結果、家に帰って叱られ
両親は翌日、また似たような赤いランドセルを買って帰ってくる。

「お前の言葉は人を傷つける」

小学校5年生のころ、友人に「お前の言葉は人を傷つける」と言われる。
当時の自分はショックを受けていたが、
良くも悪くもこの瞬間に自分の言葉の力は強いという認識が生まれた。

【4】中学生時代 

初恋とアウティング

中学2年生の春。クラスの女の子に初恋をする。

これまで女性である自分の体に言い表しようのない嫌悪感はあったが、それでも自分のことを「普通の女性」だと認識していた。しかし、今までのものとは全く異なる感情が込み上がり、「これが本当の恋なんだ」と気付く。

それから呪文のように
「なぜ女の子を好きになってしまったんだろう」
「自分は普通じゃない。頭がおかしいのか」という自問自答が、頭の中で毎日のように繰り返される。

耐えかねた私は友人の1人に悩みを打ち明けるが、翌日アウティングされ、絶望する。

仲良くしていた友達は私の元を去り、クラスメイトからも避けられ、ひとりぼっちになった。

学校に行きたくなかった。

それでも両親に相談することも、友人に相談することもできず、毎日ビクビクしながら過ごした。

家に帰ると、ノートに自分の悪いところを書き殴った。
その日一日、自分のどんな行動が誰を不快な想いにしたのか、反省文を書いていた。死んでしまいたかった。

このことがきっかけになり、同世代の集団がトラウマに。

また人に秘密を作ることが怖くなり、常にありのままを曝け出したいと強く感じるようなった。

失恋

卒業式の日、2年想い続けた初恋の女の子は
私の目の前で 別の男の子に第二ボタンをもらっていた。

それは私にはないボタンだった。
この時、他者に対する強烈な劣等感が生まれた

クラス中が知った私の彼女への気持ちは
最後まで彼女にだけ伝えることができなかった。

【5】高校時代 

YouTubeとの出会い

中学校での失敗を繰り返さないため、市外の高校へ通いだす。

そんな中、当時サシマンという名前で動画を投稿していたワタナベマホトさんを知り、私自身も15歳でYouTubeに動画投稿を始める。

当時ほぼ初だった女性配信者ということが火種となり、どんどんとチャンネル登録者を伸ばしていく。

一方で自分は男性であることを自覚し出す

配信を始めて1年たった頃、初めて性同一性障がいという言葉を知り、自分は心が男性であることに気付く。

今まで 言語化できずずっとモヤモヤしていたものに名前がついて安心し、救われた気がした。

彼女もでき、高校では信頼する友達へカミングアウトもできた。

けど、女性配信者として人気になった手前、YouTubeでは本当の気持ちを話すことはできなかった。

夢を諦める

YouTuberとして活動する中で、将来は映像制作に携わりたいという夢を持つ。

進路を決める際、映像を学ぶため進学したいと両親に相談するが、家庭の金銭的な理由から「高卒で就職するしかない」と言われ、夢を諦める。

長年叶えたかった夢を諦めたことで将来のことがどうでもよくなり、適当に営業系の仕事を選ぶ。

【6】営業時代 18才 

高校卒業後、営業の世界に飛び込む

映像の夢を諦め、女性のまま某上場企業の営業職へ。

全くやる気は湧かず、そこそこにやろうと思っていた矢先、新卒研修の最中に挨拶に現れた当時のエリアマネージャー達のオーラが凄すぎて衝撃を受ける。

同時期、母親に 職場でのカミングアウトについて相談する。
母から「カミングアウトする前にそれなりの結果を残して、何かあっても文句言わせない状態にしな」というアドバイスを受け、最短で店長になることを決意する。

休みの日には実績のいい店舗を県外まで見に行ったり、仕事後は心理学を勉強して、職場では誰よりも接客数をこなした。

結果、研修バッジが取れた入社3ヶ月後に全社員売上1位を達成

同年、業界最高位資格を新卒で初めて取得。最優秀新人賞を受賞した。

この時自分が大切にしていた言葉は「置かれた場所で咲く」という言葉だった。

生まれたくても生まれることができなかった男性の体、逃げるように決めた高校進学、YouTubeでの偽りの姿、選択肢のなかった就職。

やりたいことがやれない環境で育ってきた自分にとって、この言葉だけが唯一の救いだった。

例え、それがやりたいことでなくとも
与えられた環境の中で、全力を出し切ることに価値を見出していた。

そうでなければ生きていけなかった。

体を男性にする治療が始まる

入社半年後、体を男性にする治療を始めることを決意。

「男性になっていく姿を万が一近所の人に見られたら家族が偏見を受けるかもしれない」と思い、貯金もないまま一人暮らしを始める。

男性ホルモン治療を初め、体に変化が出始める。職場でもカミングアウトをし、念願だったスーツを着て仕事場に向かった。
ただそれだけで涙が出てきた。

今まで着たい服を着ることさえできなかった僕にとってこれは死ぬほど嬉しいことだった。

次第にYouTubeと距離を置く

見た目が男性になればなるほど、女性として応援してくれているファンの方にカミングアウトすることができず、YouTubeの活動を休止する。

そんな中、YouTube市場が一気に盛り上がり、後輩や同期のYouTuberがトップYouTuberになっていくのを見て病む。

休止の最中は、病んで意味の分からない動画をあげては消してを繰り返していた。

【7】営業時代 19才

一生かかっても男にはなれない現実が見え始める

治療を始める前は、治療さえすれば 絶対に幸せになれると確信していた。

けど現実は違った。

着々と男性に近づいていけばいく程、
同時に虚しさが湧き上がるようになった。

どれだけ治療をしても、今の医学じゃ本物の男性の体を手に入れることはできない。

「どれだけ見かけが男になっても、好きな人を最後まで抱くことができない。」
「こんなに高額な治療費を払って、手術しても、それでも男としては一生偽物なんだ。」
「産ませることも産むこともできない。」

夜になればこんな考えが頭の中を支配して眠れなくなった。
駅で普通の男性を見かけるだけで涙が出てくることがあった。

彼女に出会い、性別に対する葛藤が消える

今の彼女に恋をする。

思い切って告白したが「元女性とお付き合いする覚悟がない。私はいつか順ちゃんを傷つけるかもしれない」と言われ、フラれる。

それでもどうしても付き合いたかった僕は
「絶対に何があっても傷つかない」ということを約束に2ヶ月間アタックし続け、付き合うことになる。

お付き合いがスタートしてからは約束した手前、彼女の前では 傷つかない自分を演じ続けなければいけなかった。

けど、傷つかない自分を演じていると不思議と本当に傷つかなくなっていった。

自分に対してどんどん自信も湧いてきた。
性別に対する長年の葛藤が消えていった瞬間だった。

この体験から
・なりたい自分は自分で作れる
・悩んでもどうしようもないこと(過去)に囚われ続けるより、これからどうするか(未来)に視点を当てることが大事
という価値観を持ち始める。

【8】営業時代 20才

念願の店長に

仕事は順調で、ついに目標としていた店長になることができた。

それまで仕事で成果をあげていた僕は、当然店長になってもトップクラスの店舗が作れると信じていた。

が、結果は悲惨なものだった。
営業成績で1位をあげていた自分が、店舗成績ランキングで最下位をとってしまった。スタッフのモチベーションのあげ方がわからず、部下はどんどんやめていった。

自分の何がいけないのか全くわからなかった。
状況は改善されず、苦しい店長時代を過ごす。

【9】企画時代 22才

店長として成果が出ない中、動画制作のスキルを評価されて企画→広報へ

どれだけ努力してもなかなか結果がでず、このままではダメだと思い、ナンバーワンよりオンリーワンの店長を目指すことを決意。

元々持っていた動画制作のスキルを活かして、営業の成功事例動画などを作成。

それがきっかけとなり、スーパーバイザーに昇格し、企画部署で様々なことをやった。OJTやイベント企画、販促や、研修動画の作成。時にはピンチの店舗に赴き、売りのエースとして現場にたった。

様々な業務に携わるようになったことで、自分の好きなことや嫌いなことがはっきりとわかるようになった。

【好きなこと】

・0→1をつくること(クリエイティブ、企画)
・人の個性や強みを活かし、組織をまとめること
・映像やデザインを通じて人の想いや生き様を伝える仕事
・人の心が動くような研修

【嫌いなこと】

・管理業務
・ルーティン業務
・プレイヤーとして現場に立つこと
・接待(ニュアンスは違うかもしれないけど、本質的ではない会話が嫌いだった)

好きなことをやっている時と、嫌いなことをやっている時では明らかに自分のパフォーマンスが変わった。

次第に与えられた環境で全力を出すのではなく、好きなことややりたいことだけを、全力でやれる環境やポジションを自分で作っていくことが大切だと気付く。

YouTuberを再開 広報へ 

仕事の最中、会社で取り扱う製品をYouTuberが広告している映像を見かける。それを見た瞬間、「自分は向こうにいるはず(画面の向こう)だったのに、なにをしているんだろう」という気持ちが湧き上がる。

本当にやりたいことはなんなのかと自分に問いかける毎日が始まった。

ある時、僕を見かねた上司が、認知科学やNLP(神経言語プログラミング)の仕組みを教えてくれた。(コンフォートゾーンや脳の使い方)

このことがきっかけとなり、多くの人に自分の生き様を通じてメッセージを届けようと決意する。

YouTuberの活動を再開することにした。
またYouTuberを再開したことがきっかけとなり、親会社へ転籍し、広報部へ異動することが決まった。

高校時代に諦めていた「映像を仕事にする」という夢が叶った瞬間だった。

【10】広報時代 23才

YouTuberと広報サラリーマンを兼業する

YouTuberと広報サラリーマンを兼業する生活が始まる。

【平日】

9:30 – 18:30 サラリーマン
19:30 – 1:00 YouTuber活動
※夜型なので 3~4時くらいまで仕事する日もありました

【土日】

土:メンバーとの撮影

周りにいる人を大切にしたいというモットーから、恋人や友人と過ごす時間もきちんと確保しながらの
ハードな日々が始まった。

けどやりたいことを全力でやって過ごす時間は楽しすぎて全く苦ではなかった。

広報部は人事も兼任している上司と僕だけの部署だったので、実質的に1人で、1から仕事を作っていかなければいけなかった。

けどこの環境が僕にとっては最高だった。

自由にのびのびやらせてもらえる環境の中で
主に採用や人事教育関連のクリエティブ業務を1人で行っていた。

映像制作、写真撮影、デザイン業務。どれも社内で僕にしかできない仕事だった。
毎日が好きなことで溢れていた。

やっと本当の意味で、会社の中でオンリーワンの人材になることができた。

インターンシップのカメラマンを経験し、一瞬で人生が好転する奇跡を見る

私が勤めていた会社では、毎年採用に力を入れていた。

特にインターンシップでは2泊3日の合宿を行なっており、たった3日間で学生の人生を変容させるような素晴らしいプログラムを提供していた。

私はカメラマンとして、このインターンシップに密着という形で参加することになった。

3日間という短い期間の中で自己探求・他者探究を行い、本当の意味で自分の人生に向き合い、とてつもない成長を遂げる学生の奇跡をたくさん見た。

最終日を迎え、ラストには学生、人事、僕を含めた全員が号泣していた。

素晴らしい経験だった。

学生だけでなく、もっと多くの人にこのプログラムを体験して欲しいと思うようになった。

この時から次第に人の人生を共に作るということに対して興味を持ち始めるようになった。

初めての大学講演

元々メッセージを伝えることが好きな私は、将来講演家になろうと決めていた。

そんな中、東京の目白大学で LGBTに関する授業に「ゲストで登壇してくれないか?」というお話をいただいた。

もちろん私は快諾した。

最初は、マイノリティーで傷つく人を減らすため、LGBTについて理解してもらうための講演を考えていた。

でも考えれば考えるほど、それは本当の意味で傷つく人を減らすことに繋がるのか疑問が募っていった。

例えば、私の健康保険証の性別欄には女性という表記がされている。
体調不良で病院に行くと必ずと言っていいほど、受付の方に「これはご本人のものですか?」と疑われる。

受付の方からすると、悪意のない確認に過ぎないが、まだ性別に葛藤していた頃はその些細な言葉にいちいち傷ついていた。

マイノリティーに対する理解を深めていったところでマジョリティーからの悪意のない言葉は必ずやってくる。

では、どうしていくべきなのか。

そんなことを考えていると、ふと19才の頃に彼女に出会って、性別の葛藤が消えた時のことを思い出した。

今までは他人から言われる
「結婚しないの?」「子供は産まないの?」などの悪意のない言葉にすらいちいち傷ついていた自分が、傷つかない自分を演じているうちにみるみるうちに生まれ変わっていった。

この時、自分自身を今まで傷つけていたのは
性別のことでも、
他人からの言葉や、世間からの偏見でもなく、
自分自身だったのだと気付いた。

本当の意味で誰かを幸せにしたいのであれば、誰かを愛したいのであれば、
まず自分を愛さなければならない。

世の中から差別や偏見、傷つく人を本当の意味でなくしたいのであれば、お互いを理解し合ったり、他者を傷つけない言葉を選ぶよりも自分だけは自分を愛し続け、傷つかない心を育てなければならない。

 世の中から傷つく人をなくすためには
「全ての人が自分を愛す」ことが重要なのだと気付いた。

そして、これに気付いた瞬間
そんな世の中にしていくことこそ
僕が生まれ持った使命であり、責務であると強く感じた。

自分を愛すということは、自分を甘やかすこととは違う。

・勇気を持って本当の自分に向き合い、嘘のない誇り高い生き方を選択すること
・自分の弱みすら受容し、強みに変換していくこと
・自分を満たし、溢れたもので他者を満たすこと

まずは自分自身がこの生き方を体現すると決意した。

【11】独立 24才

独立を決意し、フリーランスへ

6年間努めた会社を退職することを決意。

広報部での仕事も大好きな仕事だったが、
それよりも自分には、果たすべき使命がある。

退職するにあたって不安、恐怖心、様々な葛藤はあったが、決断し覚悟を決めた。


独立直後は3つの仕事を複業した。

①YouTube
②コーチング
③セクシャルウェルネス事業

セクシャルウェルネス事業では、元女性でも利用できるセクシャルウェルネスアイテムの開発を始めた。

知識も、資金も乏しい中、ひとりでは絶対に達成することはできないだろうと考え、まずは同じ想いを持った仲間を集めることにした。

自身のSNSで仲間を募集。50名の同じ思いを持つ仲間が集まり「nopoleプロジェクト」がスタートした。

【12】創業 25才

セクシャルウェルネスブランド「nopole」の立ち上げ

資金も知識も人脈も、本当に全てが0の状態からセクシャルウェルネスアイテムを開発をスタートした。

しかし、性に関するプロダクトを開発することは想像以上に難しかった。

まず工場が見つからない。
そもそも性に関するプロダクトに協力してくれる工場はほとんどなかった。

資金をクラウドファンディングで調達しようとしたが、当時国内外を含め、性に関するプロダクトを取り扱ってくれるサイトはなかった。

多くの人に支えられ、クラウドファンディングを実施

当時僕が一つだけ持っていたものがある。
それは仲間だった。

できることから一歩ずつ前進を続け、製品のサンプル、デザイン、サイト制作、全て自分達で行った。

とにかく全員で熱意を発信し続けた。
その内、この活動を応援してくれる人が1人ずつ増えていった。

そしてついにクラウドファンディングサイト「モーションギャラリー」にて、クラウドファンディングを実施させてもらえることが決まった。

【LGBTQ】FTMとそのパートナーが心も身体もつながる世界を一緒につくりませんか? | MOTION GALLERY 〈日本発〉セクシャルマイノリティーでも性を楽しめるアダルトグッズを制作します。。クラウドファンディングのMotionGa motion-gallery.net

結果、760名の方にご支援頂き、目標金額を大幅に超える支援総額873万500円を集めることができた。
人生で一番人に感謝した日だった。
素晴らしい経験をさせてもらった。

より多くの方へアイテムを届ける為、法人を設立

このアイテムをクラウドファンディングだけでなく、さらに多くの人へ届ける為、合同会社nopoleを創業。

【13】まとめ コーチングを通じてどんな体験を提供したいか

本当の意味での「自己探求」

私は世の中の常識に囚われ、ずっと自分自身に嘘をついて生きてきました。

  • 男性であるのに女性として生きようとしていた
  • 好きな人に好きと言わなかった
  • 着たい服を着なかった
  • YouTubeで女性のふりをし続けた
  • いきたい学校にいかなかった
  • 映像を仕事にしたかったのに、自分を騙して営業をやり続けた

小さなことから大きなことまで、あまりに自分に嘘をつき続けたせいで、どれが本当の自分なのかわかるのにとても時間がかかりました。

しかし、本当の自分(心の底からの欲求、使命)に気づいた瞬間、人生が大きく変わりました。

きっと今、この記事を読んでいる方も
「本当は何がしたいのかわからない」「自分の使命がわからない」
「やりたいことがわからない」と感じている方は多いと思います。

それでも大丈夫です。
必ず誰しもが 使命を持って生まれてきます。
そしてそれを達成させるための才能をすでに持っています。

全ての人が才能に溢れ、すでにリソースフルなのです。

それなのに、多くの人が、常識や過去の体験から本当の自分の才能に蓋をしてしまっています。

私はコーチングを通じて、クライアント様に 「嘘をつかず、本当の自分に向き合う」時間を提供します。

ぜひ一緒に本当の自分を探究し、本物の人生を作っていきましょう。

モリタジュンタロウのコーチングはこちらから

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